| 以下は、「安心」2004年10月号別冊に掲載された記事です。 網膜色素変性症とは、眼球の内側をおおう網膜上に褐色の色素がにじみ出て、そのために視野が狭くなる病気(視野狭窄)です。 網膜には光の強さを感じとる杆体細胞と、色を感じとる錐体細胞があり、物を見分ける大切な働きをしています。その情報が視神経を通して脳に伝えられることで、私たちは物を見ることができるわけです。 ところが、この網膜の上皮層に色素がにじみ出て沈着すると、その部分の杆体細胞は侵され、明暗を感じる機能が失われてしまいます。 その結果、視野が狭くなってくるのです。 視野狭窄は長い年月にわたってゆっくり進んでいく”進行性”である点が特徴です。そのため、子供のころに発病してもハッキリ異常を感じるのは二十代、三十代になってからというケースもよく見られます。 網膜色素変性症はかなり以前からある病気で、遺伝子の異常に基づく変性とされていますが、発症する理由はいまだに明らかになっていません。 原因が解明されていないこともあり、決定的な治療法が確立されていないのが現状です。そのため厚生労働省難病指定も受けています。 共通する病変の傾向として網膜の血流低下が見られることから、西洋医学では血液循環促進剤やビタミン剤などを用いていますが、残念ながら治癒の決め手となるまでにはいたっていません。 私が行っている漢方治療でも、この難病治療のポイントは血流改善になります。ただ、アプローチ自体はかなり異なってきます。 東洋医学的に網膜色素変性症を観察すると、患者には二つの共通する特徴が見られます。 一つは胸脇苦満と呼ばれる肋骨の下縁あたりの抵抗感。もう一つはお血(おけつ)と呼ばれる血流の停滞です。 お血は主に冷えという形で現れますが、これは抹消血管の血流が悪くなっている証拠。網膜の血管も抹消ですから、網膜色素変性症にもこのお血が深く関与しているものと考えられます。 胸脇苦満に適している漢方薬は、主として柴胡剤になります。 柴胡剤とは肝臓の機能を調整する働きのある生薬、ミシマサイコの根を配合した漢方薬の総称です。主なものに、大柴胡湯(だいさいことう)、小柴胡湯(しょうさいことう)、柴胡桂枝湯(さいこけいしとう)、柴胡桂枝乾姜湯(さいこけいしかんきょうとう)などがあります。 また、お血の改善には血液循環を促進する桃核承気湯(とうかくじょうきとう)、桂枝茯苓丸(けいしふくりょうがん)、当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)などの駆お血剤が有効です。 私は、網膜色素変性症の患者にはその人に合ったこうした漢方薬を用いていくことで、治療効果をあげています。視野狭窄の進行が遅くなったり、ストップしたり、なかには視野が徐々に回復しだしたケースも少なくありません。 参考までに、臨床例を三例ご紹介しましょう。 平成9年に初めて来院した方で、子供のころからなんとなく視野がぼやけるという自覚があったそうです。ただ、視力自体はいいので長い間そのままにしていたところ、会社の人間ドックで網膜色素変性症と診断されたとのことでした。 眼底写真で調べてみると、色素の出方は比較的少ないようでしたが、視野は20度前後(正常値は60度以上)と狭く、網膜の血管もかなり細くなっていました。 また、診察では、明らかなお血と胸脇苦満も見られました。 そこで柴胡桂枝湯と桂枝茯苓丸を処方して経過を観察し続けたところ、2年、3年たっても進行は見られず、7年経過した現在では、20度ほどだった視野も25度まで回復しています。 視力も1.2と相変わらずよく、日常生活にはほとんど支障がなくなったと喜んでいます。 ほかの病院で網膜色素変性症との診断を受け治療を続けてきたが経過がはかばかしくないと、平成10年に初来院した方です。当時は就職活動を間近に控え、進行だけでもなんとか防ぎたいということでした。 検査の結果では、色素がにじみ出ていることはなかったものの、血管は細く、血流の悪化は明らかで、無色素性の網膜色素変性症と判断しました。補足すると、病名こそ網膜色素変性症ですが、実際の色素の出方はさまざまで、この方のような非定型の”無色素性”も決してめずらしくありません。 体全体の血流も悪く、冷え性で夏でも靴下をはかずにはいられないとのこと。さらに胸脇苦満やお血といった網膜色素変性症特有の症状も顕著でした。 ただ、視野は50度前後と、それほどひどくはありませんでした。 柴胡桂枝湯、苓桂朮甘湯(りょうけいじゅつかんとう)、桂枝茯苓丸の三種類を処方し、飲み続けてもらいました。苓桂朮甘湯は主として水分の代謝(体内の物質の入れ替わり)をよくし、角膜の乾燥を防ぐ薬です。 非常に熱心な方で、根気よく服薬と問診を続けた結果、6年後の現在も視野狭窄の進行はまったく見られません。3年前には結婚され、お子さんも生まれたそうですが、日常生活もとくに不都合ないようです。 この方が初来院したのは平成4年ですが、私が実際に診るようになったのは平成7年からです。 6歳のころに大学病院で網膜色素変性症と診断され、投薬などの治療を受けていましたが、視野は少しずつ狭くなっていたようです。 私が診たときは、網膜にはシミのようににじみ出た色素が無数に点在。視野も10度足らずでした。 幼少時からの軽い色弱も手伝って、目はかなり見えにくく、通常の生活にも支障を感じるようでした。 やはり胸脇苦満とお血が顕著。とくにお血が非常に強く出ていたので、桂枝茯苓丸よりも強めの駆お血丸(くおけつがん)を用いることにしました。 駆お血丸は桂枝茯苓丸と桃核承気湯を練り合わせたもので、お血を散らす効果にすぐれています。 また、この方は肥満ぎみということもあって、大黄を除いた大柴胡湯も合わせて処方。こちらは、胸脇苦満の程度に合わせて、小柴胡湯に変えたりもしました。 この方も自分の病気に非常に前向きに取り組む方で、根気よく飲み続けてくれました。その結果、進行が止まればと思っていた視野が、逆に徐々に拡大し、いまでは15度程度にまで回復しています。 数年前には鍼灸師の資格を取得し、元気に働いているようです。 たしかに網膜色素変性症は決定的な治療法がない難病です。しかし、患者さんによっては、この方たちのように漢方治療で進行を止め、さらには改善することも可能だと私は考えています。 |
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