対談 
 
この記事は、1998年9月27日の「朝日新聞」の「現代医療と漢方」より引用させていただきました。

〜からだを守るシステム生体防御機構と漢方薬・補剤の役割〜
人間にはもともと、自分のからだを守るシステム「生体防御機構」が備わっています。 外部から侵入する細菌やウイルスなどの外敵を排除しようとする免疫反応も、その一つ。 免疫が低下すると、さまざまな病気にかかりやすくなります。 現代社会で問題になっているのは、免疫を低下させるストレス障害や高齢化疾患などが増えていること。 そこで、生体防御機構を高める方法の一つとして、いま注目されている漢方の「補剤」の役割について、 鍋谷欣市先生と小谷実可子さんに話し合っていただきました。
小谷実可子(こたに・みかこ)
スポーツキャスター。1966年東京生まれ。89年日本大学卒業。88年のソウル・オリンピックではソロおよびデュエットで銅メダルを獲得。92年に引退後は、シンクロの普及・指導を務めるかたわら、スポーツキャスターとしても活躍。98年8月に初のエッセイ集『ドルフィン・ピープル』(近代文芸社刊)を出版
鍋谷欣市
(なべや・きんいち)

1927年生まれ。52年千葉医科大学卒業。千葉大学医学部第二外科助教授を経て、73年から杏林大学第二外科教授となる。93年から杏林大学名誉教授、昌平クリニック院長、赤坂病院顧問を務める。95年から日米医学医療交流財団理事長も兼務。消化器がんの権威で、外科領域に漢方を応用した第一人者。

気力と体力の落ち込みが免疫力を低下させる
鍋谷
 ソウル・オリンピックのとき、小谷さんのシンクロナイズドスイミングをよく拝見していました。見ていてとても美しいのですが、その美しさの底にはすごい訓練があるのだろうなと。かなり、お疲れになったのではありませんか。
小谷 
シンクロは本当にハードで、1日8時間以上も水の中にいますし、陸上でもトレーニングして、朝から晩まで練習漬けの日々なんです。確かにとても疲れるのですが、ソウル・オリンピックに向けて私自身がノッテいるときは、これを乗り越えればメダルにつながるという、ものすごいプラス思考があって、苦しいのも快感になっていました。それがバルセロナのときは国内ランクも落ち、若手にも抜かれてしまって、自信を持つというより、はたしてオリンピックに出場できるのだろうかという不安のほうが強くなりました。練習もつらくなっていたんです。いまから思えば、急にわきの下が腫れて腕が上がらなくなったり、理由も原因も分からないからだの異常が何度か出ていました。
鍋谷 慢性疲労症候群という病気があって、原因不明にリンパ節が腫れたり、何となく疲れてきて、日常やっている仕事をだんだんこなせなくなったりします。体力もさることながら、気力が衰えているのが大きな理由の一つです。おそらく小谷さんも、オリンピックに行けるかどうかという精神的な悩みで、そういう症状がでてきたのでしょう。
小谷 
頭は「頑張るぞ」といっているのに、ソウルのときのような、自分の内側から出てくるエネルギーのようなものがなくて。自分でも気づかないうちにプレッシャーを感じていたのでしょうね。やはり気力や体力が落ちると、いろいろな症状が出やすいのですか。
鍋谷 人間にはからだを守る仕組み、いわゆる生体防御機構」が備わっています。たとえば、ひざ小僧をすりむくと、そこにかさぶたができて、包帯のような役割をする。これも生体防御機構の一つです。また、風邪をひいたりしてウイルスなどが体内に入ってくると、それを排除しようとする「免疫」という生体防御機構もあります。人間はだれでも先天的に、そうした外敵から生体を守る仕組みを持っています。ところが、気力や体力が落ち込むと、免疫も落ちてきます。
小谷 免疫力が低下すると、病気にもなりやすいのですね。
鍋谷 免疫というのは実にうまくできていて、たとえばインフルエンザにかかると、からだの中からリンパ球など、いろいろな種類の白血球が出てきて、インフルエンザウイルスと戦います。その戦闘の結果、出てくる反応の一つが発熱で,この発熱により免疫の効率も上げます。
小谷 熱が出ても、すぐに解熱剤を飲んで下げてしまわないほうがよい、といわれたことがあるのですが、そういうことだったのですね。
鍋谷 ですから、そういう意味からいうと熱が出なくなる状態はあまりよくないのです。お年寄りになると戦う元気もなくなって、細菌などに感染しても熱が出ないことがあります。赤ちゃんはよく発熱しますけれども、そういう戦いの反応が敏感に起こっているという証拠の一つでもあるのです。もちろん、解熱剤が必要な場合もあり、それに対応する漢方薬もあります。
漢方の補剤には生体防御を調整する働きが
小谷 では、漢方薬では免疫力を高めることはできるのでしょうか。
鍋谷 「補剤」と分類される一群の漢方薬が免疫を高める作用があるとされています。
小谷補剤というのは、あまり聞き慣れない言葉ですね。
鍋谷 漢方では人間のからだは「気・血・水」で調整されていると考えられています。気は生命エネルギー、血は血液、水は体液を指します。つまり、気力は気、体力は血と水でできている。それがどちらも
表1 虚の症状(自己チェックポイント)
気虚(主に気力) 血虚(主に体力)
1
体がだるい
1
顔色がわるい
2
元気が出ない
2
疲れやすい
3
声が弱々しい
3
皮膚がかさかさ
4
食欲不振
4
めまいがある
5
風邪を引きやすい
5
手足が冷える
6
日中でも眠い
6
こむらがえりしやすい
7
熱い食事を好む
7
頭髪が抜ける
8
寝汗をかく
8
月経過少・不順
欠けてきた状態を「虚」といいます(表1)食欲がなかったり、疲れやすくなるのは、いわば虚の状態なんです。補剤は虚の状態を補ってからだの機能を回復させることにより、病気の治癒促進を図る漢方薬です。たんに栄養補給を目的とした補液(輸液)とは異なります。
小谷 もう少しくわしくお聞かせください。
鍋谷 たとえば受験などストレスがたまると、風邪をひきやすくなったり、あるいは極度のストレスで月経不順になったりすることがあります。このように私たちの生体内では、神経系、免疫系、内分泌系がお互いに影響しあって生体防御機構を作っています。補剤はこれらに総合的に作用し、生体防御機構をひき出すということが明らかにされてきました。補剤の代表的なものに
補中益気湯(ほちゅうえっきとう)十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)、人参養栄湯(にんじんようえいとう)などがあります。補中益気湯の「中」は漢方で消化器を指し、消化機能を補い、元気を増すという意味でとくに気力が衰えている人に使います。十全大補湯は気力と体力がともに低下している人に、人参養栄湯十全大補湯とほぼ似ていますが、さらに咳があるときに用いられます。ほかにも胃腸が非常に弱ったときには小建中湯(しょうけんちゅうとう)や、大建中湯(だいけんちゅうとう)などが使われます。
小谷 このところ韓国に行く機会が多くて、朝鮮人参茶をいっぱいもらって毎日飲んでいるんです。
鍋谷 いいことですね。人参というのは体力が落ちているときによく配合する生薬ですが、すべての人に効くかというと、そうでもないんです。虚の反対で元気のいい「実」の人では、血圧が上がるなどして、あわないこともあります。小谷さんも疲れたときなどにはいいでしょうが。
小谷 そのときの体調などによって使い分けなければいけないのですね。
鍋谷
 過ぎたるは及ばざるがごとしで、何事もバランスが大切なんです。人参は単味の生薬ですが、補剤にも配合されます。補剤では人参単味ではなく、同時に消化や利尿の薬も入っているというように、うまく副作用を少なくするように配合されています。そういう意味でも使いやすいのです。
小谷 先生は消化器がんの権威でいらっしゃいますが、外科の現場でも補剤が使われているのでしょうか。
鍋谷 食道がん、胃がんなどの患者さんは消化器がおかされているので、治療の段階ですでに低栄養状態です。また手術後も、消化器の一部が切除されるわけですから、経口食が制限され、ますます低栄養状態になります。また、放射線治療や抗がん剤治療を行えば、さらに体力が低下したり、さまざまな副作用が出たりします。そうした時に消化吸収機能を高め、全身の栄養状態を良好にし、そのような副作用を改善することを目的に、補剤をよく使います。最近は補剤の研究も進み、免疫力低下の回復だけでなく、ホルモン調節作用、造血機能改善作用、精神的ストレスの緩和などの効果も明らかになっており、外科領域に限らず内科領域でも幅広く使われています
(表2)
現代の生活様式が虚の人を増やしている
小谷 
先生のお話を伺っていると、気というものが入ってくるのが漢方の特徴のような気がします。私はもともと気の部分をすごく重視するタイプで、からだが元気でも気持ちに張りがないときはだめなんです。漢方でそれが外から補充できるというのは初めて知りました。
鍋谷 おそらく気というのは、ストレスに対抗するものでしょう。体力は、握力はいくつとか、肝臓の働きがどうだとか、だいたい数字であらわせます。ところが気力というのは、本来形がないのに働きがある。
表2 補剤の役割
1
全身状態(気力、体力など)低下を回復
2
感染防御に対する作用
3
精神的ストレスを緩和
4
免疫力の低下を回復
5
ホルモン調節作用
6
造血機能を改善
7
術後の体力低下の回復
たとえば暗示にかけられるとうまくいったりしますね。ストレスも形はなくても何か押し寄せてきて、人間の心に出てくる。現代社会ではストレスがものすごく増えています。過剰なストレスも生体防御機構を低下させますから、現代は虚の状態になりやすいともいえます。
小谷 いまは生きていくだけでストレスを感じてしまう時代ですからね。
鍋谷 現代環境ということでは、生活様式の変化も大きいですね。昔の人は、自然環境によく順応したんです。昼間は起きて、夜は寝る。寒いときには着物をよけいに着るといった具合にね。ところが、現代人は昼と夜を一緒にしてしまって、夜中も起きている。それから春夏秋冬もなくしていますね。いつもエアコンをつけて、夏でも冬でも同じ温度や湿度に保たれる。移動のときも車で、一年中夏服で済ませることだってできます。それで、ちょっと寒くなったり、暑くなったりすると、すぐに弱る。現代人は昔の人に比べて抵抗力が落ちていて、現代文明病として虚の人が多くなりつつあるのではと、僕は見ています。現代人は何かで補ってやらないとからだが、今の生活環境についていけなくなっているのです。

長寿社会に向けてさらに高まる補剤の役割
小谷 
日本は世界一の長寿国でもあるわけですが、お年寄りが増えてくると、補剤の役割もますます大きくなっていきそうですね。
鍋谷
 年をとっていくと、病気でなくても自然に体力が落ちていきます。高齢者が多くなればなるほど、虚の状態の人も当然ふえてくる。そういう老化による機能低下に対しても、補剤の使用を考えていくとよいでしょうね。
小谷 
お年寄りがみんな虚の顔で、むなしそうにしていたら、若者だってつらくなってしまします。漢方の力で元気なお年寄りが増えることを期待したいですね。
鍋谷 全部が漢方だけということはないと思います。現代医学の長所もとって、お互いに認め合っていけば、漢方も現代医学もいっそう生きる。両方のいいところを取り入れるという考えが、今後はますます重要になっていくだろうと思います。
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